<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
    <title>魂を失わずにグラフィックデザイナーになる本</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://soul.firmnotnamedyet.com/" />
    <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://soul.firmnotnamedyet.com/atom.xml" />
    <id>tag:soul.firmnotnamedyet.com,2008-04-15://1</id>
    <updated>2008-12-10T07:15:53Z</updated>
    <subtitle>魂を失わずにグラフィックデザイナーになる本 / エイドリアン・ショーネシー Howtobeagraphicdesigner, without losingyour soul / Adrian Shaughnessy</subtitle>
    <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type 4.1</generator>

<entry>
    <title>岡室健（グラフィックデザイナー）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://soul.firmnotnamedyet.com/interview6/" />
    <id>tag:soul.firmnotnamedyet.com,2008://1.7</id>

    <published>2008-12-10T07:14:34Z</published>
    <updated>2008-12-10T07:15:53Z</updated>

    <summary>連載インタビュー＝岡室健（グラフィックデザイナー） 東京藝術大学と大学院を卒業し...</summary>
    <author>
        <name>FIRM</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://soul.firmnotnamedyet.com/">
        連載インタビュー＝岡室健（グラフィックデザイナー）
東京藝術大学と大学院を卒業していますが、何を学ぶことができましたか？デザインについて何も教わることはなく、大雑把な課題に主体性を持って取り組み、各々のやり方で表現する場所でした。何が良くて何が悪いか誰も教えてくれない、何が実りつつあるか自分でも分からない悶々とした時間を過ごしました。学生生活の半ばで、教員としてやってきた松下計さんと出会いました。現役のグラフィックデザイナーと接したことでデザインに興味を持ち、授業に取り入れて欲しいとお願いしたのですが、こう諭されたことを憶えています。「尖ったデザイナーは、独自の表現を探求できる場所で生まれるのです。この強みは社会に出て初めて実感できること。職業的なことはいつでも学べますから。」これが、大学で学んだことを全て言い表しています。
大学院に在籍しながらドラフトでアルバイトを始めました。現実の仕事を通して、自分の表現には凝り固まったところがあったことに気がつきました。「デザインはこうでなくちゃいけない」というこだわりを捨てると、作品の性質も目に見えて変化しました。デザイナーとしてやっていく覚悟を決めたのもこの頃でした。
博報堂という大きな会社を就職先に選んだのはなぜですか？ドラフトでは手を動かす細かい仕事が楽しくて、このまま就職できればと思ったこともありました。博報堂のような会社に新卒で入るチャンスは一生に一度きりで、ドラフトで雇ってもらえる保証もありませんでしたから、採用試験は受けるべくして受けました。内定が得られてすぐにドラフトからも誘いを受け、難しい選択を迫られました。デザイナーらしくあれる小さな会社のほうが性に合っていることは十分承知していましたが、それでも博報堂という大きな会社を選んだのは、マス広告の仕事を通して世の中の仕組みを知りたいこと、大勢と関わっていく中で自分の役割を確立したいこと、そして、そんな場所で働ける機会は二度と巡ってこないかもしれないことが理由でした。
大きな会社で働くことのメリットは何ですか？デザイナーに限らず多くの人と出会えることです。広告代理店の仕事は、ビジュアルはもちろん戦略や言葉などあらゆる視点が求められ、緻密かつ大規模に行われるものです。関係する多くの人との意思疎通を怠ると、プロジェクトは知らないうちに先に進んでしまいますから、常に周囲へ働きかなければいけません。そうやって築いた関係は、この先きっと自分の仕事の助けになると思います。
休暇の制度が確立していて、給料が安定していることもメリットです。仕事以外のことをできるだけたくさん経験したいので、時間とお金にある程度自由が利くことが助かります。いろいろな経験をして様々な感動を覚えることでデザイン表現は豊かになりますし、ときには悪いものを経験することで良いものを見出せるようにもなります。特に、体力があるうちにしかできないスポーツで得られる感動は何事にも代え難く、そういう時間を作れることが嬉しいです。
大きな評価を得た作品は、なかよし幼稚園という小さなクライアントの仕事でした。これについてどう考えていますか？仕事の大小に関わらずメッセージをきちんと伝えられるものをつくろうとしています。その上で自分の思うような表現をしようとするから、自分でハードルを高くしてしまっているのでしょう。大規模な仕事でもディテールまで作り込めるようになりたいですし、それに挑戦していけると思います。しかし、あらゆる魅力的なデザインがそれぞれ優れた考えに基づいていることに気がつくと、デザインに対するスタンスが確立すれば問題にならないことのような気もします。そうすると、自分のデザインのやり方を見つけなくてはとか、哲学を決めなくてはと考えたくなりますが、決めなくてもいいのかもしれませんし、結局正しい答えなんてないのでしょうけど。
興味のあること、楽しいことは何ですか？海が大好きでサーフィンをするのですが、水に浸かってもの思いに耽る時間を大切にしています。文字を作ったり絵を描いたり細かい作業に熱中している時間も好きです。体がリラックスして頭が冴えているときも、思考が止まって無心になっているときも、とても気持ちがいいからです。
学びたいこと、身に付けたいことは何ですか？絵を上手く描けるようになりたいです。クロッキーは見たものの本質を瞬時に紙に写し取る直観力が問われる作業で、デッサンは捏ね回した末に一枚の絵に仕上げる判断力と決断力が問われる作業です。仕事に絵を取り入れようとしているのではなく、手と脳を直結させて体で憶えたことはデザインでも同じようにやれると思うのです。ものをつくる過程は隅々まで分かっていたいですし、そういう努力をしないのは怖いです。簡単に出来るものほど弱いからです。
岡室健（グラフィックデザイナー）
1978年東京生まれ。2004年東京藝術大学卒業デザイン科卒業後、同大学院入学。同年より株式会社ドラフト・D-BROSにデザイナーとして約2年間就業2006年東京藝術大学大学院デザイン科修了。株式会社博報堂入社と同時にHAKUHODO DESIGN配属。2007年TDC準グランプリ、ADC賞受賞。
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>福岡南央子（アートディレクター）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://soul.firmnotnamedyet.com/interview5/" />
    <id>tag:soul.firmnotnamedyet.com,2008://1.6</id>

    <published>2008-10-27T08:50:53Z</published>
    <updated>2008-10-27T08:53:18Z</updated>

    <summary>連載インタビュー＝福岡南央子（アートディレクター） 2008年のJAGDA新人賞...</summary>
    <author>
        <name>FIRM</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://soul.firmnotnamedyet.com/">
        連載インタビュー＝福岡南央子（アートディレクター）
2008年のJAGDA新人賞を受賞してから自分のなかで変化はありましたか？デザインを始めてからずっと、アイデアをうまくかたちにできない不器用さにコンプレックスを抱いてきました。それでも、デザインをやりたいという気持ちを信じてこれまで続けてきました。自分のテーマはデザインの技術を日々向上させることです。そして、賞を頂いてもそれが変わることはありませんでした。無名だった私の名前が多少は認知を得たおかげで、話に耳を傾けてもらえることが多くなりました。この機会を逃さずに夢に向かって進もうと、期待に胸を膨らませています。反面、注目されてしまうせいで、仕事に直接関係ない人たちの反応まで気にするようになりました。気持ちをコントロールする必要を感じたことは、同時に自分自身を意識するきっかけにもなりました。
ドラフトに勤める以前に何度か転職されたそうですが、何がそうさせたのですか？学校を卒業して働き始めたのは小さなデザイン事務所でした。何もできないところから手取り足取り教わりながら技術を身に付けていくことが楽しかったことを覚えています。会社が解散して職を失った後、たまたま聞きつけた募集に応募して、採用されたのが大溝裕さんの主宰するGlanzでした。そこでは、自分のセンスがかたちになって表れる快感を覚えました。デザインという仕事の魅力を実感したのです。それからは、楽しいかどうかを仕事のバロメーターにしています。楽しくないときは、人間関係か、仕事に取り組む態度か、テーマの見つけ方か、きっと何かが間違っていて、そのままにしておくと「楽しくない」という言葉が口をついて出るのだと思います。
Glanzを辞めたのは、もっと規模の大きな仕事を経験したかったからです。そのとき初めて自分の魂を意識しました。こんなに時間が掛かって体力を消耗し、生活のほとんどを占める仕事だからこそ、自分らしさを犠牲にして人生を無駄に過ごしたくないと思いました。クライアントに自分の意思を伝えられないまま仕事をすることは、デザイナーにとって不毛なことです。ドラフトに興味を持ったのは、個人として思っていることと仕事の場での発言に相違はない、という宮田識の考え方に共感したからです。そして、そういうボスのもとで働きたかったのです。
学校では何を学びましたか？どんなことが今でも役に立っていますか？学生のころは早く現場で働きたいと思っていました。クライアントと一緒に働いて初めてクリエイティビティを発揮できるデザイナーにとって、学校という仮想世界で教わることは少なかったからです。しかし、このころから抱き始めた自分の不器用さに対するコンプレックスは、憧れと執着というかたちになって今でも逆説的に役に立っています。技術に説得力を持たせられなければ大きなことは言えないと思い、ディレクションをする一方で必ず手を動かして作業するようにしてきました。ですから、JAGDA新人賞でディレクションだけでなく技術を評価されたことをとても嬉しく思いました。技術の向上は自分との戦いですから、技術が身に付いてきた手応えとして嬉しかったのです。
あなたの師とはどんな関係ですか？大溝さんのことは、今でも師匠だと思っています。固定したスタイルをつくらず、一回一回のデザインで答えを出す姿勢は見習いたいところです。宮田は身近な存在すぎて師匠とは呼びにくいのですが、毎日のように新たな発見をさせられて、常に先の方を歩く開拓者のようです。師というのは、遠くから眺めているだけでは何も得ることはなく、見て感じて考えたことを言葉にして交わすことで、いろいろなことを授かるのだと思います。面倒臭くて怖くて、楽しく過ごすための存在ではないかもしれませんが、今以上に大きくなりたい人にとっては有益な存在です。自分にできないことを常に持っていて、常に上の存在で、やられたとか、すごいとか、なるほどとか思わされるだけで、自分が少し引き上げられるのだと思います。
今のデザイン界についてどう思いますか？何でも知っていて何でもできるかっこいい大人が、世の中を牽引しなくなったと思います。ほとんどのものが子供に合わせてつくられているようで、何も考えないで見られるテレビとか、何も知らないほうがカワイイとか、簡単に食べられるほうが楽だとか、そういうのは全然楽しくありません。憧れる大人に対して背伸びをしてみることが、若いデザイナーになくなったように思います。素直ではあるのですが、無理して自分を良く見せようとも、勘違いでいいからやってみようともしません。話しやすい人と話しやすい内容の会話をして、喧嘩もしません。空気を読んで丸く収めようと思っているのかもしれませんが、誰かかがひっくり返して世の中を面白くしてくれると思いたいですし、自分もそうしなければいけないと思っています。
福岡南央子（アートディレクター）
1976年兵庫県生まれ。金沢美術工芸大学視覚デザイン科卒業。FLAPPER STUDIO、Glanzを経て、2003年株式会社ドラフト入社。2008年JAGDA新人賞・カテゴリー賞、ADC賞受賞。
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>サイトウ・マコト（現代作家）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://soul.firmnotnamedyet.com/interview4/" />
    <id>tag:soul.firmnotnamedyet.com,2008://1.5</id>

    <published>2008-09-29T08:46:48Z</published>
    <updated>2008-10-08T01:48:15Z</updated>

    <summary>連載インタビュー＝サイトウ・マコト（現代作家） 「SCENE[0]」という絵画展...</summary>
    <author>
        <name>FIRM</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://soul.firmnotnamedyet.com/">
        連載インタビュー＝サイトウ・マコト（現代作家）
「SCENE[0]」という絵画展を開催していますが、グラフィックから映像、プロダクト、建築に、より複雑な方へと進んだ後、なぜ絵画というシンプルなものに戻ろうとするのですか？仕事が複雑になると人間関係も複雑になります。そのなかで自分なりの表現を実現しようとすれば、言葉で相手を納得させる能力を身に付けなくてはなりません。しかし、言葉を巧みに操ることと、すばらしい表現をすることは、デザイナーの進む道として全く異なるものです。自分が望む最後の姿は自己表現を極めることですから、持っている力がそのまま表れる絵画こそ一番ふさわしい表現手段だと思いました。ビジュアル表現というものは、本来、何を視覚から感じ取るのかというとても単純なものです。つまり、ビジュアルとは言葉なしに全てを物語るものです。意味を解す間もなく襲ってきて神経を震わせ心を揺さぶる。そういう真に迫る表現を追求したいのです。
どのようなことを大切にして取り組んでいますか？自己表現を追求することはグラフィックデザイナーにとって根本的に必要なことですが、社会の中で自分はどう在りたいかを考えることも大切です。世の中のためにならないものを売る手助けするような仕事でも、お金になれば引き受けてしまうことがほとんどでしょう。悪いところをひた隠し立派なことだけを伝えるようなデザインは、これまで十分過ぎるほど作ってきました。これからは自分に正直に生きたいですし、絵画を始めたのもそのためです。
良い作品を作りながら良い業績を上げることに、自分の性格はうまく作用していますか？こういう率直な性格のままずっとやってきましたが、だいたいうまく作用していると思います。気に入らない仕事はやりませんし、気に入ればもちろんやります。気に入らなくても、納得のいく金額をもらえれば引き受けます。大金をクライアントに要求するのは根性と力がないとできません。それは、自分自身を商品として、本性を全てテーブルの上に載せた勝負ができるのかということだからです。もちろん、自分自身の価値は高く見積もって欲しい。そういう精神を持つ人間として生まれてきたのなら、それに従うしかありません。
新しい分野の仕事は、どのように切り開いていますか？やりたいことをやるために何が必要ですか？精神力です。そして、自分がやりたいことをやりたいと言うだけのことです。言った以上はやらなければならないという状況を作り出して自分を発奮させます。もし、言うのが怖いのならば、それは結果に対する責任を負う根性が足りないだけです。それから、自分を信じること。他人が成功している姿を見てその道をあきらめる人が多いですが、人にはそれぞれのやり方があるわけで、正しいやり方というものは存在しません。自分の性格に合った生き方を見つけ、選んだ道を絶対に引き下がらないことです。
「魂」とは何ですか？自分を突き動かすものです。それだけを意識して生きています。自分の魂は人が思うような立派なものではありません。慈悲もありますが、間違いなく欲深さを持っています。魂を意識するということは、自分がどういう生き物なのかを意識するということです。何をすべきで何がやりたいのかということを、自分自身に問いかけることが魂なのだと思います。
若いデザイナーに何かアドバイスはありますか？人間として生まれてきたのなら、人生の全責任は自分にあります。他人や世の中のせいにすることはできませんし、運のせいにすることもできません。運は能力であり、能力が備わっているかどうかは自分の責任です。うまくいったなら、そのことに感謝して次のチャンスを祈ってください。世の中のいい条件というのは人生の悪い条件です。悪い条件のほうがいい条件です。そこで鍛えられ、自分の魂を信じれば、そこから芽生え、それを自分の意思で育て作っていくこと。これが人間という生き物です。そう思いませんか？
サイトウ・マコト（現代作家）
1952年福岡県出身。78年にデビュー。国内外で注目され、日本、アメリカ、ヨーロッパ、南米などでデザイナーとして驚異的な受賞歴を持つ。グラフィック作品は、ニューヨーク近代美術館をはじめ、世界30以上の美術館にコレクションされており、サンフランシスコ近代美術館では80点ほどを所蔵。2008年8月、金沢21世紀美術館での展覧会を絵画作品初の発表の場とし、新たに画家としての第一歩を踏み出す。
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>中島英樹（アートディレクター）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://soul.firmnotnamedyet.com/interview3/" />
    <id>tag:soul.firmnotnamedyet.com,2008://1.4</id>

    <published>2008-08-10T14:20:31Z</published>
    <updated>2008-10-08T01:59:11Z</updated>

    <summary>連載インタビュー＝中島英樹（アートディレクター） グラフィックデザイナーになろう...</summary>
    <author>
        <name>FIRM</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://soul.firmnotnamedyet.com/">
        連載インタビュー＝中島英樹（アートディレクター）
グラフィックデザイナーになろうとした頃は、どのような時代で何を考えていましたか？大学でデザインを勉強したことはありません。それより世の中に目を向けたほうが面白くて、レコードショップに通い中古レコードを漁り続けていました。ピーター・サヴィルが台頭し、レコードジャケットのデザインがひとつの文化を築いていた時代に、たぶん何万枚ものビジュアルを記憶に蓄積したことでグラフィックデザイナーとなる基礎が作られたのだと思います。
デザイナーとして働き始め、二流のデザイン会社を転々とする現実のなかで、30歳には一流の仕事をしていたいという理想を持っていました。一番に憧れるアートディレクターのもとで将来独立してやっていく術を身に付けようとしたのですが、そこは大学出のエリートで占められる別世界のように感じていました。だからこそ自分から行動を起こさなければならず、自主制作に持てる力の全てを注ぎ込むようになりました。理想を叶えたいという欲望はとても強く、欲望に正直に行動するのは当たり前のことだと思っていました。
雑誌「CUT」の仕事を担当し始めた時のことを教えてください。清水正己デザイン事務所に「CUT」を担当するデザイナーとして採用されたのは、職を求めて預けていたポートフォリオが、創刊の準備で事務所を訪れたロッキング・オンの渋谷陽一氏の目に留まったからでした。徹底して清水正己の色を出すことにこだわりながら自分に厳しく仕事を課す姿勢が認められ、かつては別世界と思っていた場所であっという間にチーフを任されました。デザインとは、もともと人の心をつかむためにあるものです。そういう仕事を当たり前以上にやっていたことで自ずと信頼を得たのだと思います。
働き始めた頃は、何がエネルギー源でしたか？今も変わらず保ち続けていますか？衝動を突き動かすのはホルモンです。若くて圧倒的に強いホルモンは信じられないようなエネルギーを生み出し、時には不可能を可能にすることさえあります。若さを失うにつれてエネルギーは保ちにくくなりましたが、反対に、視覚からきめ細かく情報を読み取る能力を30歳過ぎてから急速に身に付けました。ただ、見え過ぎるようになると世の中に氾濫するひどいビジュアルに強烈な生理的嫌悪を感じるため、そういうものを視野に入れないように努めています。毎日のように大量生産される情報をやみくもに追うよりも、自分なりの物事の見方を信じることが大切です。
グラフィックデザイナーとして生きることについて、どのように考えていますか？グラフィックデザイナーという職業に就くのは簡単です。しかし、正面からグラフィックデザインと向き合い、独自の考えを持って仕事をしている人はそれほど多くありません。そのうちのひとりとして生き残っていくために、過去に築いた地位を守ろうとするのではなく、煙たい存在としていつまでも意識されていたいと思っています。
良い仕事とはどのような仕事ですか？良い仕事とは、デザイナーの力だけでできるような単純なものではありません。素材が良くなければ、料理人がいくら腕を振るってもおいしい料理ができないのと同じことです。しかし、デザイナーの力の及ぶ範囲に限って言えば、素材を洗練させ、人の脳のより深いところに正確に刻むもの、そして、創造性が高いモノが良い仕事だと思います。
良い素材を得られる環境は自分で作るものですか？全くそうは思いません。良い素材を扱える仕事を得るために何かを試みたことはありません。目の前にあることをただ誠実にやろうとしているだけです。今取り組んでいる仕事の結果が次の仕事につながることを考えれば、少しの妥協も許されません。ただし、次々と現れる新しい才能と対峙するためには何かを試みなくてはなりません。仕事以外の作品の制作を自分に課す試みは、グラフィックデザイナーになろうとした頃の自主制作と同じ根でつながっているのかもしれません。
中島英樹（アートディレクター）
東京ADC賞、東京TDCグランプリ、NY ADC賞金5個、銀7個、他多数受賞。
AGI、NY ADC、東京ADC、東京TDC 各会員
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>マイク・エーブルソン＋清水友理（POSTALCO）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://soul.firmnotnamedyet.com/interview2/" />
    <id>tag:soul.firmnotnamedyet.com,2008://1.3</id>

    <published>2008-07-09T21:39:21Z</published>
    <updated>2008-07-09T21:49:32Z</updated>

    <summary>連載インタビュー＝マイク・エーブルソン＋清水友理（POSTALCO） なぜPOS...</summary>
    <author>
        <name>FIRM</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://soul.firmnotnamedyet.com/">
        連載インタビュー＝マイク・エーブルソン＋清水友理（POSTALCO）
なぜPOSTALCOを始めたのですか？ふたりで何かやってみたいという気持ちはありましたが、何をどうするのかは考えていませんでした。マイクはメンズバッグのデザイナー、友理はグラフィックデザイナーとして働いていました。ある時、音楽会社からプロモーション用のバッグ1000個と、そのパッケージなどを任されました。これは、デザインだけでなく製品を生産することを学ぶ機会になりました。その頃、本や書類を持ちにくそうに運んでいた友理のために、マイクが家にあった革と布地で書類入れ（後のリーガルエンベロープ）を手作りしました。周りの人に褒めてもらえたこともあって、製品サンプルを職人さんに作ってもらうことにしました。仕事帰りに食事をしながら、プロダクトの名前は何にしようか、ロゴはどうしようかと、いつも話していました。
事業をしようというつもりはありませんでした。とにかく、この書類入れを製品にしてみたかったのです。そのために必要なことをひとつひとつこなしてきました。
なぜ独立したのですか？独立したいという思いよりも、この書類入れを軸にして、オフィスまわりのステーショナリーを考え直してみたいという思いが強くありました。50年代のアメリカで作られたような、重い金属製のホチキスや鉛筆削りなどは目にすることが少なくなりましたが、大量生産される文具にはない温かみに愛着を感じます。こういう、使えば使うほど愛着のわくものを作りたいと思いました。そして、POSTALCOをプラットホームにして、いろいろな人と何かを考えたり作ったりできたらとも思ったのです。
ふたりともアメリカで働いていたそうですが、日本とアメリカでの、デザインの仕事の違いについて教えてください。アメリカでは、年齢や経歴よりも、何ができるかを重視してチャンスが与えられる気がします。タクシーの運転手さんが、自分の撮った写真をお客さんに見せたことがきっかけで、後にファッションフォトグラファーになったという話を聞いたことがあります。
私たちの場合は、才能豊かで発想の優れた人たちに仕事を通して出会えたことがとても良かったと思っています。視野が広がり多くを学びました。大切なのは、どこで働くかというよりも、誰と出会うかということかもしれません。
プロダクトだけでなく、グラフィックにも積極的に取り組んでいますが、これについて教えてもらえますか？日常の紙や手書きのおもしろさについてリサーチをして、冊子を作っています。商品のカタログを作るよりも、POSTALCOが興味のあることを共有できたらと思ったのです。商品のことを知らなくても、この冊子を見てPOSTALCOを知る方も多くいます。
ひとつのものを作って、名前をつけて、包んで、手にとってもらう過程の中で、プロダクトとグラフィックをあまり分けて考えずに、素材や書体などをひとつひとつ考えながら作っています。立体のものでもグラフィックとして考えたり、印刷物を立体として考えたりして、あまり分けて考えていません。
普段からリサーチをして記録していますが、これについて教えてもらえますか？本を読んだり調べたりするのは、もともと好きで習慣になっています。関心があることの蓄積がリサーチみたいなものです。ですから、特に何かを作る目的があってリサーチをしているのではありません。例えば、最近できたBridge Bagは、もともと関心があった橋とバッグがたまたまつながりました。そういう意図のもとにリサーチをしたのではありません。リサーチは刺激的です。普段は見過ごしてしまいがちなものに目を留める作業です。自分の興味があることに深く入っていくと、他のものとのつながりが見えてきます。
あなたたちが受けたデザイン教育について教えてください。マイクは、カリフォルニア州のパサデナにあるArt Center College of Designで、ファインアートを専攻していました。しかし、当時はものを作ることよりも理論が多い授業内容でした。一学期を休学して郵便配達の仕事をしたのは、体を使った仕事をしながら、いろいろ考えたかったからです。そして、ものを作りたいという思いから、復学と同時にプロダクトデザイン科に移りました。工業製品のデザインを主に学ぶところで縫い物は多少場違いでしたが、自分の関心があることとの接点を見つけて取り組みました。
友理は、スイスにあるArt Centerのヨーロッパ校でグラフィックデザインを学びました。学校で学んだことよりも、面白い人たちと出会えたことが学校に行く意味だったと思います。タイポグラフィやプレゼンテーションの仕方など、役に立っていることはもちろんありますが、いろいろな国の人が集まっているところに居られたことが一番刺激になりました。その後、パサデナに移り、ニューヨークで働くのですが、実際は、ふたりとも仕事の中で、一緒に働く人から学ぶことが多かったと思います。
若いデザイナーへアドバイスをお願いします。バスケットや箱、または紙袋に、イメージなどの興味のあるものを入れていってみると、自分は何に興味があるか見えてきます。学生の時にもらったアドバイスです。
マイク・エーブルソン＋清水友理（POSTALCO）
2001年にニューヨーク、ブルックリンにてPOSTALCOをスタートし、その後、拠点を東京に移す。POSTALCOをプラットホームにして、ステーショナリーや、鞄、出版物を作りつつ、デザイナーとして、幅広く活動中。
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>井上広一（oryel）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://soul.firmnotnamedyet.com/interview1/" />
    <id>tag:www.firmnotnamedyet.com,2008:/soul//1.2</id>

    <published>2008-04-28T09:33:20Z</published>
    <updated>2008-05-08T13:50:05Z</updated>

    <summary>連載インタビュー＝井上広一（ORYEL） なぜグラフィックデザイナーになろうと思...</summary>
    <author>
        <name>FIRM</name>
        
    </author>
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://soul.firmnotnamedyet.com/">
        連載インタビュー＝井上広一（ORYEL）
なぜグラフィックデザイナーになろうと思ったのですか？デザインに興味を持ったのは、当時流行していたウォークマンやコンポなどのオーディオ機器をカッコいいと思ったからです。欲しいものはたいてい高価でした。高いから欲しいのではなくて、欲しいものが高かったのです。それは、見た目の良さも含めて、ものの総合的な価値を直感で意識していたからでしょう。そうして、プロダクトかインテリアのデザインに進みたいと思い始めましたが、実は、分野に関わらず、デザインの本質に興味があったのだと思います。大学受験の結果、進むことになったのはグラフィックデザインでした。今も変わりなく信じていることは、多面的に見ることができてこそデザインであり、グラフィックという分野はそのひとつということです。
中学生のとき、美術の課題を先生に褒められたのが嬉しかったことを覚えています。その頃はグラフィックデザインというものの存在は知りませんでしたから、そこで具体的な目標ができたわけではありません。褒められたことを素直に信じたこと、評価してもらうことを楽しく思えたことが、今につながっているのだと思います。
グラフィックデザイナーを志してから、これまでの経緯を教えてください。九州産業大学でグラフィックデザインの勉強を始めました。教わるだけでなく、憧れていたデザイナーの作品をまねることでデザインを学びました。単にカッコいいからではなくて、アイデアをカタチにするところにデザインの面白さがあると気がつきました。それは自分で苦労してアイデアを出してみて初めて分かることでした。恵まれているとは言えない環境だったからこそ、自分の力でどうやって学べばいいのかということが学べたのだと思います。大学を卒業した後、設立されたばかりのワイデン+ケネディトウキョウで働くチャンスを得ました。仕事を教えてくれる上司がいない中で失敗をしながら実践で覚え、アートディレクターになるという志を短期間で実現できたのは、自分で学ぶことが身についていたおかげでしょう。7年間働いた後、独立してORYELを設立しました。独学できるようになったことは、今の仕事の幅の広さにも生きています。経験したことのない仕事に抵抗はありませんし、むしろ新しさを楽しんでいます。
ORYELを設立したきっかけは何ですか？ひとつは、もっといろいろなことをやりたかったからです。広告やグラフィックに留まらないでデザインの範囲から外れたとしても、何かわからないけど他のことをやる可能性を自分で見つけたいと思いました。もうひとつは、デザインという仕事の本来のやり方に立ち返りたかったからです。デザインを提案するときに、クライアントのことを考えるのは当然ですが、会社で働いていると上司が気に入るかどうかも考えます。これは、デザインを考え直して洗練させる機会になる反面、上司の好みを知ることでなれ合いが生じることもあります。同じような内容の仕事が増えたのと、そういう慣れに危機感を抱いたので、違うことを新しいかたちで始めたくなったのです。
とても幅の広い仕事をしていますが、これに必要な、多様な知識と経験はどうやって得てきましたか？こだわって手の込んだものを作っても、最後に受け取る人に伝わらなければ意味がありませんから、メッセージを伝えるためのアイデアをきちんと考えたいと思っています。アイデアを考えるという行為は、媒体や分野が違っても変わらないから幅広く仕事ができるのでしょう。もちろん、デザインにはアイデアだけでなく知識と経験による技術が必要です。幅が広がれば広がるほど多様な技術が必要になりますが、すでに技術のある人と一緒に働く方法を知っていれば、全ての技術が自分に備わっていなくてもよいのです。人と一緒に働くことは経験を積んでうまくなります。人間関係に苦労することで、働きやすい人かどうかを見極める直感が研ぎすまされます。デザイナー自ら写真を撮ったりコピーを書いたりして、その人の気持ちになってみることで、いろいろな職種の人と要領よく働くことができるようになります。
ひとつのクライアントと深く関わって仕事をしていますが、クライアントとの関係で心がけていることは何ですか？たくさん話をすることを心がけています。初めてのクライアントと会うときには、気が合いそうか、向かっている方向が同じかどうかを感じ取るようにしています。それによって、これから何ヶ月間かを充実して仕事ができるかどうかが決まるからです。また、クライアントの事情を深く知りすぎないことも心がけています。ブランドのことが分かりすぎて別の視点からの見解を持てなくなると、方向性が狭まりますし、客観的に評価することもできなくなります。そして、自分の意見はきちんと述べるとともに、相手の意見も誠実に聞くようにしています。時には失言をしてしまうこともありますが、それも含めてクライアントに受け入れてもらえるような関係を築けたときに、いい仕事ができるのだと思います。
グラフィックデザイナーがビジネスをする上で大切なことは何ですか？クライアントを満足させることです。初めてのクライアントの場合は、最初の仕事に満足してもらえたかどうかで、もう一度依頼されるかが決まります。気をつけなければならないのは、クライアントが何に満足しているかを見極めることですが、満足させることだけ考えればよいのではありません。デザインの仕事とは、クライアントの出す漠然とした問題をデザイナーが解決して見せるものですが、予想を裏切る解決策に感動することでクライアントには満足してもらいたいのです。
グラフィックデザイナーは何を信じていればよいと思いますか？仕事が楽しいこと。クライアントが喜んでくれること。世の中のために何かいいことをしているかもしれないこと。
井上広一（ORYEL）
1976年、福岡に生まれる。九州産業大学 芸術学部 デザイン学科にてビジュアルデザインを学ぶ。卒業後、ワイデン+ケネディトウキョウに入社。アートディレクターとして、ナイキ、森ビル、TAKATA、KUMON、スターバックスなどのクライアントを担当する。2005年、クリエイティブオフィスORYELを設立。
    </content>
</entry>

</feed>

