魂を失わずにグラフィックデザイナーになる本 / エイドリアン・ショーネシー Howtobeagraphicdesigner, without losingyour soul / Adrian Shaughnessy
連載インタビュー=井上広一(ORYEL) なぜグラフィックデザイナーになろうと思ったのですか?デザインに興味を持ったのは、当時流行していたウォークマンやコンポなどのオーディオ機器をカッコいいと思ったからです。欲しいものはたいてい高価でした。高いから欲しいのではなくて、欲しいものが高かったのです。それは、見た目の良さも含めて、ものの総合的な価値を直感で意識していたからでしょう。そうして、プロダクトかインテリアのデザインに進みたいと思い始めましたが、実は、分野に関わらず、デザインの本質に興味があったのだと思います。大学受験の結果、進むことになったのはグラフィックデザインでした。今も変わりなく信じていることは、多面的に見ることができてこそデザインであり、グラフィックという分野はそのひとつということです。 中学生のとき、美術の課題を先生に褒められたのが嬉しかったことを覚えています。その頃はグラフィックデザインというものの存在は知りませんでしたから、そこで具体的な目標ができたわけではありません。褒められたことを素直に信じたこと、評価してもらうことを楽しく思えたことが、今につながっているのだと思います。 グラフィックデザイナーを志してから、これまでの経緯を教えてください。九州産業大学でグラフィックデザインの勉強を始めました。教わるだけでなく、憧れていたデザイナーの作品をまねることでデザインを学びました。単にカッコいいからではなくて、アイデアをカタチにするところにデザインの面白さがあると気がつきました。それは自分で苦労してアイデアを出してみて初めて分かることでした。恵まれているとは言えない環境だったからこそ、自分の力でどうやって学べばいいのかということが学べたのだと思います。大学を卒業した後、設立されたばかりのワイデン+ケネディトウキョウで働くチャンスを得ました。仕事を教えてくれる上司がいない中で失敗をしながら実践で覚え、アートディレクターになるという志を短期間で実現できたのは、自分で学ぶことが身についていたおかげでしょう。7年間働いた後、独立してORYELを設立しました。独学できるようになったことは、今の仕事の幅の広さにも生きています。経験したことのない仕事に抵抗はありませんし、むしろ新しさを楽しんでいます。 ORYELを設立したきっかけは何ですか?ひとつは、もっといろいろなことをやりたかったからです。広告やグラフィックに留まらないでデザインの範囲から外れたとしても、何かわからないけど他のことをやる可能性を自分で見つけたいと思いました。もうひとつは、デザインという仕事の本来のやり方に立ち返りたかったからです。デザインを提案するときに、クライアントのことを考えるのは当然ですが、会社で働いていると上司が気に入るかどうかも考えます。これは、デザインを考え直して洗練させる機会になる反面、上司の好みを知ることでなれ合いが生じることもあります。同じような内容の仕事が増えたのと、そういう慣れに危機感を抱いたので、違うことを新しいかたちで始めたくなったのです。 とても幅の広い仕事をしていますが、これに必要な、多様な知識と経験はどうやって得てきましたか?こだわって手の込んだものを作っても、最後に受け取る人に伝わらなければ意味がありませんから、メッセージを伝えるためのアイデアをきちんと考えたいと思っています。アイデアを考えるという行為は、媒体や分野が違っても変わらないから幅広く仕事ができるのでしょう。もちろん、デザインにはアイデアだけでなく知識と経験による技術が必要です。幅が広がれば広がるほど多様な技術が必要になりますが、すでに技術のある人と一緒に働く方法を知っていれば、全ての技術が自分に備わっていなくてもよいのです。人と一緒に働くことは経験を積んでうまくなります。人間関係に苦労することで、働きやすい人かどうかを見極める直感が研ぎすまされます。デザイナー自ら写真を撮ったりコピーを書いたりして、その人の気持ちになってみることで、いろいろな職種の人と要領よく働くことができるようになります。 ひとつのクライアントと深く関わって仕事をしていますが、クライアントとの関係で心がけていることは何ですか?たくさん話をすることを心がけています。初めてのクライアントと会うときには、気が合いそうか、向かっている方向が同じかどうかを感じ取るようにしています。それによって、これから何ヶ月間かを充実して仕事ができるかどうかが決まるからです。また、クライアントの事情を深く知りすぎないことも心がけています。ブランドのことが分かりすぎて別の視点からの見解を持てなくなると、方向性が狭まりますし、客観的に評価することもできなくなります。そして、自分の意見はきちんと述べるとともに、相手の意見も誠実に聞くようにしています。時には失言をしてしまうこともありますが、それも含めてクライアントに受け入れてもらえるような関係を築けたときに、いい仕事ができるのだと思います。 グラフィックデザイナーがビジネスをする上で大切なことは何ですか?クライアントを満足させることです。初めてのクライアントの場合は、最初の仕事に満足してもらえたかどうかで、もう一度依頼されるかが決まります。気をつけなければならないのは、クライアントが何に満足しているかを見極めることですが、満足させることだけ考えればよいのではありません。デザインの仕事とは、クライアントの出す漠然とした問題をデザイナーが解決して見せるものですが、予想を裏切る解決策に感動することでクライアントには満足してもらいたいのです。 グラフィックデザイナーは何を信じていればよいと思いますか?仕事が楽しいこと。クライアントが喜んでくれること。世の中のために何かいいことをしているかもしれないこと。 井上広一(ORYEL) 1976年、福岡に生まれる。九州産業大学 芸術学部 デザイン学科にてビジュアルデザインを学ぶ。卒業後、ワイデン+ケネディトウキョウに入社。アートディレクターとして、ナイキ、森ビル、TAKATA、KUMON、スターバックスなどのクライアントを担当する。2005年、クリエイティブオフィスORYELを設立。
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序文=ステファン・サグマイスター デザイナーでいることが大好きだ。自由にアイデアを考え、それがかたちになっていくのを眺めるのが大好きだ。一日中、我を忘れて仕事に没頭して、プロジェクトに集中して取り組むことが大好きだ。もう20年もこの仕事に関わっているのに、いまだに作品が印刷から上がってくるのが大好きだ(それがうまく行ったらの話)。 現在、とてもたくさんの素晴しいデザイナーがいる。ジョナサン・バーンブルック、ニコラス・ブレックマンのように、デザインの社会的役割を唱えるクリエーターたち。パリのM/M、東京の野田凪、ロンドンのマーク・ファローのように、ため息のでるような表現を生みだすデザイナーたち。ジョン・マエダ、ヨアヒム・ザウターと彼らの教え子のように、デザインとテクノロジーの境界をあいまいにするデザイナーたち。スイスの若いグループBenzinや、ライアン・マクギネスとシェパード・フェアリーをはじめとする「Beautiful Losers」展に参加したアメリカのデザイナーのように、アートの世界とデザインの世界の両方で巧みに活動する新しい世代たち。 最近University of the Arts in Berlinの春夏学期で教えたのだが、生徒の頭の回転の速さをうれしく思った(少し驚いた)。彼らは私の世代より教育レベルが高く、いろいろなところを旅していて、文化について敏感だ。現在、僕が教えているニューヨークのSchool of Visual Artsの修士デザイン課程の生徒にも同じような特徴がある。その中にはハーバード大学の生物学専攻中の学生やコメディー・セントラルのシニアデザイナーも含まれている。 デザインが、どのように批評されるかについても、新たに注目されている。これを後押ししているのが、スティーブン・ヘラーの『LookingCloser』のシリーズ、評論をたくさん掲載するようになった『Emigre』マガジン、リック・ポイナーの『No More Rules』と『Obey theGiant』、そして特筆すべきは、underconsideration.comとdesignobserver.comのようなデザインブログの登場だ。私の知る限り、今までにこれほど多くの文化で、これほど大勢の人が、デザインに夢中になり批評している時代はない。 もちろん、グラフィックデザインの仕事の分野がさらに広くなれば、グラフィックデザインはさらに難しくなる。かつては数多くの別の分野の仕事だったものが、今ではグラフィックデザインの仕事になっている。生徒の中には、作曲をしたり、映像を撮影して編集したり、アニメーションをつくったり、彫刻をする者がいる。彼らはハードウェアをつくり上げ、ソフトウェアを書き、シルクスクリーンやオフセット印刷をし、写真を撮り、イラストを描く。写植や色分解のような機械的な作業の仕事が、かつては専門職だったことはどんどん忘れ去られていく。多くの学校はこの点を理解していて、グラフィック、プロダクトデザイン、ニューメディア、建築、映像といった学部に、今までのような境界を取り除くことで、多角的なデザイナーの教育を促進している。 私自身にとっても、状況は難しくなっている。年齢を重ねるごとに、昔やったことを繰り返したり、過去の栄冠にしがみついたりすることに抵抗しなくてはいけなくなった。1993年に事務所を開設する以前は、ニューヨークの当時お気に入りだったデザイン会社、M&Co.で働いていた。ティボール・カルマンが、ローマで『Colors』マガジンの仕事をするために会社を閉鎖すると決めたとき、「二番目にお気に入りの」デザイン会社で働く気にはならなかった。だから、自分の事務所を開き、もうひとつのとても興味があったこと、音楽に集中した。小さな会社と大企業の、どちらでも働いた経験があるが、前者の方が後者よりもだんぜん楽しかったので、事務所を大きく成長させないように努力した。 働き始めたばかりの人の多くが、デザインだけに関心を持ち、ビジネスとお金についての問題を面倒だと思っているように感じる。適切な事務所の組織づくりと、クライアントへのプロジェクトのプレゼンテーション(要するに、仕事を獲得する能力)は、インクの色やタイプフェイスを選ぶことと同じようにデザインプロセスの一部となる(プロセスだけでなく、最終的な制作物の質に決定的な影響を及ぼす)。 私は、M&Co.にいる間に多くのことを学んだ。たとえば、タイムシートをつけること。あまり几帳面になりすぎないなら、それは正しいことだと思う。現在、私も喜んでタイムシートをつけているが、それが、ひとつのプロジェクトの収支を知る唯一の方法だからだ。財政を自分で詳しく管理していなければ、そのうち自分が誰かに管理されることになり、デザイン事務所は、私のものではなくなるかもしれない。財政のうまくいっていないデザイン事務所を経営するくらいなら、ビーチで寝そべって読書でもしているほうがよっぽど安上がりだ。 それ以外の、事務所経営についてのあらゆることは『The Business of Graphic Design』という本から学んだ。このビジネス実用書は、なぜ会社を始めたほうがいいか、始めてはいけないかを論理的に説明していて、事業計画の立案と諸経費の見積の方法も解説している。ひとりもしくは共同経営で開業することの、両方の有利な点も説明されている。 スティングの曲、『An Englishman in New York』のモデルとして(悲しくも)思い出されるクエンティン・クリスプからも影響を受けた。彼は私の受け持っていたある授業で講義をしたが、インスピレーションを与える性格の持ち主だった。多くの鋭い話の中に、こういうものがあった。「真実を話す人はみなおもしろい」。それで、考えた。これなら簡単だ、正直であるように心がけるだけで、みんなに興味をもってもらえる。 私はこの1年間、クライアントの仕事をしなかった。その時間を利用して、今までやりたくなかった(それ以前はやりたいと思い違いをしていた)分野について考えをまとめた。実験的なタイポグラフィをつくるために、毎朝6時に起きている自分自身に驚いたりもした(締め切りに追われる心配がないのにね)。おかげで、クライアントについてたくさん考えさせられることになった。教育しなければならないクライアントよりも、すでに教育されたクライアントを持とうと決めた。ティボールは、自分より鋭いクライアントしか引き受けない、と言っていた(クライアントはデザインについて鋭い必要はないことを、覚えておこう)。仕事を再開してからは、事務所の仕事の分野を広げるために、4つの異なった分野を取り入れようとも決めた。社会問題のためのデザイン、芸術家のためのデザイン、企業のためのデザイン、音楽のためのデザインだ。 グラフィックデザイナーは、どうやって魂を失わないようにするのだろうか。私の魂はいくらか失われてしまっていて、この問題に答えるのに適当な人間なのかどうか自信がない。残っている魂は、休止すること、いったん立ち止まって考えることでなんとか保ち続けている。決まりきった毎日の生活では、些細な事に没頭しすぎていて、大きな文脈でものごとを考えるための時間も判断力もない。世界中のいろいろな都市で仕事をしてきたので、それぞれには当然違いが生まれたが、おかげで逆に考えさせられた。引越しをすることに疲れて、ニューヨークでじっとしようと決めてからは、1年間休んでみたり、ベルリンで1学期教えてみたりすることで、違いをわざとつくり出した。たった3日間、事務所を離れてひとりで知らない町に行ってみても、違いをつくり出すことはできる。 若いデザイナーが自分の生き方を見つけるのに、この本が役に立つことを願う。「デザイナーは文章を読まない」というたわごとは、真実とは思えない。優れた本は優れた読者を探し当てるものだ。