魂を失わずにグラフィックデザイナーになる本 / エイドリアン・ショーネシー Howtobeagraphicdesigner, without losingyour soul / Adrian Shaughnessy
連載インタビュー=マイク・エーブルソン+清水友理(POSTALCO) なぜPOSTALCOを始めたのですか?ふたりで何かやってみたいという気持ちはありましたが、何をどうするのかは考えていませんでした。マイクはメンズバッグのデザイナー、友理はグラフィックデザイナーとして働いていました。ある時、音楽会社からプロモーション用のバッグ1000個と、そのパッケージなどを任されました。これは、デザインだけでなく製品を生産することを学ぶ機会になりました。その頃、本や書類を持ちにくそうに運んでいた友理のために、マイクが家にあった革と布地で書類入れ(後のリーガルエンベロープ)を手作りしました。周りの人に褒めてもらえたこともあって、製品サンプルを職人さんに作ってもらうことにしました。仕事帰りに食事をしながら、プロダクトの名前は何にしようか、ロゴはどうしようかと、いつも話していました。 事業をしようというつもりはありませんでした。とにかく、この書類入れを製品にしてみたかったのです。そのために必要なことをひとつひとつこなしてきました。 なぜ独立したのですか?独立したいという思いよりも、この書類入れを軸にして、オフィスまわりのステーショナリーを考え直してみたいという思いが強くありました。50年代のアメリカで作られたような、重い金属製のホチキスや鉛筆削りなどは目にすることが少なくなりましたが、大量生産される文具にはない温かみに愛着を感じます。こういう、使えば使うほど愛着のわくものを作りたいと思いました。そして、POSTALCOをプラットホームにして、いろいろな人と何かを考えたり作ったりできたらとも思ったのです。 ふたりともアメリカで働いていたそうですが、日本とアメリカでの、デザインの仕事の違いについて教えてください。アメリカでは、年齢や経歴よりも、何ができるかを重視してチャンスが与えられる気がします。タクシーの運転手さんが、自分の撮った写真をお客さんに見せたことがきっかけで、後にファッションフォトグラファーになったという話を聞いたことがあります。 私たちの場合は、才能豊かで発想の優れた人たちに仕事を通して出会えたことがとても良かったと思っています。視野が広がり多くを学びました。大切なのは、どこで働くかというよりも、誰と出会うかということかもしれません。 プロダクトだけでなく、グラフィックにも積極的に取り組んでいますが、これについて教えてもらえますか?日常の紙や手書きのおもしろさについてリサーチをして、冊子を作っています。商品のカタログを作るよりも、POSTALCOが興味のあることを共有できたらと思ったのです。商品のことを知らなくても、この冊子を見てPOSTALCOを知る方も多くいます。 ひとつのものを作って、名前をつけて、包んで、手にとってもらう過程の中で、プロダクトとグラフィックをあまり分けて考えずに、素材や書体などをひとつひとつ考えながら作っています。立体のものでもグラフィックとして考えたり、印刷物を立体として考えたりして、あまり分けて考えていません。 普段からリサーチをして記録していますが、これについて教えてもらえますか?本を読んだり調べたりするのは、もともと好きで習慣になっています。関心があることの蓄積がリサーチみたいなものです。ですから、特に何かを作る目的があってリサーチをしているのではありません。例えば、最近できたBridge Bagは、もともと関心があった橋とバッグがたまたまつながりました。そういう意図のもとにリサーチをしたのではありません。リサーチは刺激的です。普段は見過ごしてしまいがちなものに目を留める作業です。自分の興味があることに深く入っていくと、他のものとのつながりが見えてきます。 あなたたちが受けたデザイン教育について教えてください。マイクは、カリフォルニア州のパサデナにあるArt Center College of Designで、ファインアートを専攻していました。しかし、当時はものを作ることよりも理論が多い授業内容でした。一学期を休学して郵便配達の仕事をしたのは、体を使った仕事をしながら、いろいろ考えたかったからです。そして、ものを作りたいという思いから、復学と同時にプロダクトデザイン科に移りました。工業製品のデザインを主に学ぶところで縫い物は多少場違いでしたが、自分の関心があることとの接点を見つけて取り組みました。 友理は、スイスにあるArt Centerのヨーロッパ校でグラフィックデザインを学びました。学校で学んだことよりも、面白い人たちと出会えたことが学校に行く意味だったと思います。タイポグラフィやプレゼンテーションの仕方など、役に立っていることはもちろんありますが、いろいろな国の人が集まっているところに居られたことが一番刺激になりました。その後、パサデナに移り、ニューヨークで働くのですが、実際は、ふたりとも仕事の中で、一緒に働く人から学ぶことが多かったと思います。 若いデザイナーへアドバイスをお願いします。バスケットや箱、または紙袋に、イメージなどの興味のあるものを入れていってみると、自分は何に興味があるか見えてきます。学生の時にもらったアドバイスです。 マイク・エーブルソン+清水友理(POSTALCO) 2001年にニューヨーク、ブルックリンにてPOSTALCOをスタートし、その後、拠点を東京に移す。POSTALCOをプラットホームにして、ステーショナリーや、鞄、出版物を作りつつ、デザイナーとして、幅広く活動中。
interview2.giflink2.gifimage2.jpg
序文=ステファン・サグマイスター デザイナーでいることが大好きだ。自由にアイデアを考え、それがかたちになっていくのを眺めるのが大好きだ。一日中、我を忘れて仕事に没頭して、プロジェクトに集中して取り組むことが大好きだ。もう20年もこの仕事に関わっているのに、いまだに作品が印刷から上がってくるのが大好きだ(それがうまく行ったらの話)。 現在、とてもたくさんの素晴しいデザイナーがいる。ジョナサン・バーンブルック、ニコラス・ブレックマンのように、デザインの社会的役割を唱えるクリエーターたち。パリのM/M、東京の野田凪、ロンドンのマーク・ファローのように、ため息のでるような表現を生みだすデザイナーたち。ジョン・マエダ、ヨアヒム・ザウターと彼らの教え子のように、デザインとテクノロジーの境界をあいまいにするデザイナーたち。スイスの若いグループBenzinや、ライアン・マクギネスとシェパード・フェアリーをはじめとする「Beautiful Losers」展に参加したアメリカのデザイナーのように、アートの世界とデザインの世界の両方で巧みに活動する新しい世代たち。 最近University of the Arts in Berlinの春夏学期で教えたのだが、生徒の頭の回転の速さをうれしく思った(少し驚いた)。彼らは私の世代より教育レベルが高く、いろいろなところを旅していて、文化について敏感だ。現在、僕が教えているニューヨークのSchool of Visual Artsの修士デザイン課程の生徒にも同じような特徴がある。その中にはハーバード大学の生物学専攻中の学生やコメディー・セントラルのシニアデザイナーも含まれている。 デザインが、どのように批評されるかについても、新たに注目されている。これを後押ししているのが、スティーブン・ヘラーの『LookingCloser』のシリーズ、評論をたくさん掲載するようになった『Emigre』マガジン、リック・ポイナーの『No More Rules』と『Obey theGiant』、そして特筆すべきは、underconsideration.comとdesignobserver.comのようなデザインブログの登場だ。私の知る限り、今までにこれほど多くの文化で、これほど大勢の人が、デザインに夢中になり批評している時代はない。 もちろん、グラフィックデザインの仕事の分野がさらに広くなれば、グラフィックデザインはさらに難しくなる。かつては数多くの別の分野の仕事だったものが、今ではグラフィックデザインの仕事になっている。生徒の中には、作曲をしたり、映像を撮影して編集したり、アニメーションをつくったり、彫刻をする者がいる。彼らはハードウェアをつくり上げ、ソフトウェアを書き、シルクスクリーンやオフセット印刷をし、写真を撮り、イラストを描く。写植や色分解のような機械的な作業の仕事が、かつては専門職だったことはどんどん忘れ去られていく。多くの学校はこの点を理解していて、グラフィック、プロダクトデザイン、ニューメディア、建築、映像といった学部に、今までのような境界を取り除くことで、多角的なデザイナーの教育を促進している。 私自身にとっても、状況は難しくなっている。年齢を重ねるごとに、昔やったことを繰り返したり、過去の栄冠にしがみついたりすることに抵抗しなくてはいけなくなった。1993年に事務所を開設する以前は、ニューヨークの当時お気に入りだったデザイン会社、M&Co.で働いていた。ティボール・カルマンが、ローマで『Colors』マガジンの仕事をするために会社を閉鎖すると決めたとき、「二番目にお気に入りの」デザイン会社で働く気にはならなかった。だから、自分の事務所を開き、もうひとつのとても興味があったこと、音楽に集中した。小さな会社と大企業の、どちらでも働いた経験があるが、前者の方が後者よりもだんぜん楽しかったので、事務所を大きく成長させないように努力した。 働き始めたばかりの人の多くが、デザインだけに関心を持ち、ビジネスとお金についての問題を面倒だと思っているように感じる。適切な事務所の組織づくりと、クライアントへのプロジェクトのプレゼンテーション(要するに、仕事を獲得する能力)は、インクの色やタイプフェイスを選ぶことと同じようにデザインプロセスの一部となる(プロセスだけでなく、最終的な制作物の質に決定的な影響を及ぼす)。 私は、M&Co.にいる間に多くのことを学んだ。たとえば、タイムシートをつけること。あまり几帳面になりすぎないなら、それは正しいことだと思う。現在、私も喜んでタイムシートをつけているが、それが、ひとつのプロジェクトの収支を知る唯一の方法だからだ。財政を自分で詳しく管理していなければ、そのうち自分が誰かに管理されることになり、デザイン事務所は、私のものではなくなるかもしれない。財政のうまくいっていないデザイン事務所を経営するくらいなら、ビーチで寝そべって読書でもしているほうがよっぽど安上がりだ。 それ以外の、事務所経営についてのあらゆることは『The Business of Graphic Design』という本から学んだ。このビジネス実用書は、なぜ会社を始めたほうがいいか、始めてはいけないかを論理的に説明していて、事業計画の立案と諸経費の見積の方法も解説している。ひとりもしくは共同経営で開業することの、両方の有利な点も説明されている。 スティングの曲、『An Englishman in New York』のモデルとして(悲しくも)思い出されるクエンティン・クリスプからも影響を受けた。彼は私の受け持っていたある授業で講義をしたが、インスピレーションを与える性格の持ち主だった。多くの鋭い話の中に、こういうものがあった。「真実を話す人はみなおもしろい」。それで、考えた。これなら簡単だ、正直であるように心がけるだけで、みんなに興味をもってもらえる。 私はこの1年間、クライアントの仕事をしなかった。その時間を利用して、今までやりたくなかった(それ以前はやりたいと思い違いをしていた)分野について考えをまとめた。実験的なタイポグラフィをつくるために、毎朝6時に起きている自分自身に驚いたりもした(締め切りに追われる心配がないのにね)。おかげで、クライアントについてたくさん考えさせられることになった。教育しなければならないクライアントよりも、すでに教育されたクライアントを持とうと決めた。ティボールは、自分より鋭いクライアントしか引き受けない、と言っていた(クライアントはデザインについて鋭い必要はないことを、覚えておこう)。仕事を再開してからは、事務所の仕事の分野を広げるために、4つの異なった分野を取り入れようとも決めた。社会問題のためのデザイン、芸術家のためのデザイン、企業のためのデザイン、音楽のためのデザインだ。 グラフィックデザイナーは、どうやって魂を失わないようにするのだろうか。私の魂はいくらか失われてしまっていて、この問題に答えるのに適当な人間なのかどうか自信がない。残っている魂は、休止すること、いったん立ち止まって考えることでなんとか保ち続けている。決まりきった毎日の生活では、些細な事に没頭しすぎていて、大きな文脈でものごとを考えるための時間も判断力もない。世界中のいろいろな都市で仕事をしてきたので、それぞれには当然違いが生まれたが、おかげで逆に考えさせられた。引越しをすることに疲れて、ニューヨークでじっとしようと決めてからは、1年間休んでみたり、ベルリンで1学期教えてみたりすることで、違いをわざとつくり出した。たった3日間、事務所を離れてひとりで知らない町に行ってみても、違いをつくり出すことはできる。 若いデザイナーが自分の生き方を見つけるのに、この本が役に立つことを願う。「デザイナーは文章を読まない」というたわごとは、真実とは思えない。優れた本は優れた読者を探し当てるものだ。