魂を失わずにグラフィックデザイナーになる本 / エイドリアン・ショーネシー Howtobeagraphicdesigner, without losingyour soul / Adrian Shaughnessy
連載インタビュー=中島英樹(アートディレクター) グラフィックデザイナーになろうとした頃は、どのような時代で何を考えていましたか?大学でデザインを勉強したことはありません。それより世の中に目を向けたほうが面白くて、レコードショップに通い中古レコードを漁り続けていました。ピーター・サヴィルが台頭し、レコードジャケットのデザインがひとつの文化を築いていた時代に、たぶん何万枚ものビジュアルを記憶に蓄積したことでグラフィックデザイナーとなる基礎が作られたのだと思います。 デザイナーとして働き始め、二流のデザイン会社を転々とする現実のなかで、30歳には一流の仕事をしていたいという理想を持っていました。一番に憧れるアートディレクターのもとで将来独立してやっていく術を身に付けようとしたのですが、そこは大学出のエリートで占められる別世界のように感じていました。だからこそ自分から行動を起こさなければならず、自主制作に持てる力の全てを注ぎ込むようになりました。理想を叶えたいという欲望はとても強く、欲望に正直に行動するのは当たり前のことだと思っていました。 雑誌「CUT」の仕事を担当し始めた時のことを教えてください。清水正己デザイン事務所に「CUT」を担当するデザイナーとして採用されたのは、職を求めて預けていたポートフォリオが、創刊の準備で事務所を訪れたロッキング・オンの渋谷陽一氏の目に留まったからでした。徹底して清水正己の色を出すことにこだわりながら自分に厳しく仕事を課す姿勢が認められ、かつては別世界と思っていた場所であっという間にチーフを任されました。デザインとは、もともと人の心をつかむためにあるものです。そういう仕事を当たり前以上にやっていたことで自ずと信頼を得たのだと思います。 働き始めた頃は、何がエネルギー源でしたか?今も変わらず保ち続けていますか?衝動を突き動かすのはホルモンです。若くて圧倒的に強いホルモンは信じられないようなエネルギーを生み出し、時には不可能を可能にすることさえあります。若さを失うにつれてエネルギーは保ちにくくなりましたが、反対に、視覚からきめ細かく情報を読み取る能力を30歳過ぎてから急速に身に付けました。ただ、見え過ぎるようになると世の中に氾濫するひどいビジュアルに強烈な生理的嫌悪を感じるため、そういうものを視野に入れないように努めています。毎日のように大量生産される情報をやみくもに追うよりも、自分なりの物事の見方を信じることが大切です。 グラフィックデザイナーとして生きることについて、どのように考えていますか?グラフィックデザイナーという職業に就くのは簡単です。しかし、正面からグラフィックデザインと向き合い、独自の考えを持って仕事をしている人はそれほど多くありません。そのうちのひとりとして生き残っていくために、過去に築いた地位を守ろうとするのではなく、煙たい存在としていつまでも意識されていたいと思っています。 良い仕事とはどのような仕事ですか?良い仕事とは、デザイナーの力だけでできるような単純なものではありません。素材が良くなければ、料理人がいくら腕を振るってもおいしい料理ができないのと同じことです。しかし、デザイナーの力の及ぶ範囲に限って言えば、素材を洗練させ、人の脳のより深いところに正確に刻むもの、そして、創造性が高いモノが良い仕事だと思います。 良い素材を得られる環境は自分で作るものですか?全くそうは思いません。良い素材を扱える仕事を得るために何かを試みたことはありません。目の前にあることをただ誠実にやろうとしているだけです。今取り組んでいる仕事の結果が次の仕事につながることを考えれば、少しの妥協も許されません。ただし、次々と現れる新しい才能と対峙するためには何かを試みなくてはなりません。仕事以外の作品の制作を自分に課す試みは、グラフィックデザイナーになろうとした頃の自主制作と同じ根でつながっているのかもしれません。 中島英樹(アートディレクター) 東京ADC賞、東京TDCグランプリ、NY ADC賞金5個、銀7個、他多数受賞。 AGI、NY ADC、東京ADC、東京TDC 各会員
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序文=ステファン・サグマイスター デザイナーでいることが大好きだ。自由にアイデアを考え、それがかたちになっていくのを眺めるのが大好きだ。一日中、我を忘れて仕事に没頭して、プロジェクトに集中して取り組むことが大好きだ。もう20年もこの仕事に関わっているのに、いまだに作品が印刷から上がってくるのが大好きだ(それがうまく行ったらの話)。 現在、とてもたくさんの素晴しいデザイナーがいる。ジョナサン・バーンブルック、ニコラス・ブレックマンのように、デザインの社会的役割を唱えるクリエーターたち。パリのM/M、東京の野田凪、ロンドンのマーク・ファローのように、ため息のでるような表現を生みだすデザイナーたち。ジョン・マエダ、ヨアヒム・ザウターと彼らの教え子のように、デザインとテクノロジーの境界をあいまいにするデザイナーたち。スイスの若いグループBenzinや、ライアン・マクギネスとシェパード・フェアリーをはじめとする「Beautiful Losers」展に参加したアメリカのデザイナーのように、アートの世界とデザインの世界の両方で巧みに活動する新しい世代たち。 最近University of the Arts in Berlinの春夏学期で教えたのだが、生徒の頭の回転の速さをうれしく思った(少し驚いた)。彼らは私の世代より教育レベルが高く、いろいろなところを旅していて、文化について敏感だ。現在、僕が教えているニューヨークのSchool of Visual Artsの修士デザイン課程の生徒にも同じような特徴がある。その中にはハーバード大学の生物学専攻中の学生やコメディー・セントラルのシニアデザイナーも含まれている。 デザインが、どのように批評されるかについても、新たに注目されている。これを後押ししているのが、スティーブン・ヘラーの『LookingCloser』のシリーズ、評論をたくさん掲載するようになった『Emigre』マガジン、リック・ポイナーの『No More Rules』と『Obey theGiant』、そして特筆すべきは、underconsideration.comとdesignobserver.comのようなデザインブログの登場だ。私の知る限り、今までにこれほど多くの文化で、これほど大勢の人が、デザインに夢中になり批評している時代はない。 もちろん、グラフィックデザインの仕事の分野がさらに広くなれば、グラフィックデザインはさらに難しくなる。かつては数多くの別の分野の仕事だったものが、今ではグラフィックデザインの仕事になっている。生徒の中には、作曲をしたり、映像を撮影して編集したり、アニメーションをつくったり、彫刻をする者がいる。彼らはハードウェアをつくり上げ、ソフトウェアを書き、シルクスクリーンやオフセット印刷をし、写真を撮り、イラストを描く。写植や色分解のような機械的な作業の仕事が、かつては専門職だったことはどんどん忘れ去られていく。多くの学校はこの点を理解していて、グラフィック、プロダクトデザイン、ニューメディア、建築、映像といった学部に、今までのような境界を取り除くことで、多角的なデザイナーの教育を促進している。 私自身にとっても、状況は難しくなっている。年齢を重ねるごとに、昔やったことを繰り返したり、過去の栄冠にしがみついたりすることに抵抗しなくてはいけなくなった。1993年に事務所を開設する以前は、ニューヨークの当時お気に入りだったデザイン会社、M&Co.で働いていた。ティボール・カルマンが、ローマで『Colors』マガジンの仕事をするために会社を閉鎖すると決めたとき、「二番目にお気に入りの」デザイン会社で働く気にはならなかった。だから、自分の事務所を開き、もうひとつのとても興味があったこと、音楽に集中した。小さな会社と大企業の、どちらでも働いた経験があるが、前者の方が後者よりもだんぜん楽しかったので、事務所を大きく成長させないように努力した。 働き始めたばかりの人の多くが、デザインだけに関心を持ち、ビジネスとお金についての問題を面倒だと思っているように感じる。適切な事務所の組織づくりと、クライアントへのプロジェクトのプレゼンテーション(要するに、仕事を獲得する能力)は、インクの色やタイプフェイスを選ぶことと同じようにデザインプロセスの一部となる(プロセスだけでなく、最終的な制作物の質に決定的な影響を及ぼす)。 私は、M&Co.にいる間に多くのことを学んだ。たとえば、タイムシートをつけること。あまり几帳面になりすぎないなら、それは正しいことだと思う。現在、私も喜んでタイムシートをつけているが、それが、ひとつのプロジェクトの収支を知る唯一の方法だからだ。財政を自分で詳しく管理していなければ、そのうち自分が誰かに管理されることになり、デザイン事務所は、私のものではなくなるかもしれない。財政のうまくいっていないデザイン事務所を経営するくらいなら、ビーチで寝そべって読書でもしているほうがよっぽど安上がりだ。 それ以外の、事務所経営についてのあらゆることは『The Business of Graphic Design』という本から学んだ。このビジネス実用書は、なぜ会社を始めたほうがいいか、始めてはいけないかを論理的に説明していて、事業計画の立案と諸経費の見積の方法も解説している。ひとりもしくは共同経営で開業することの、両方の有利な点も説明されている。 スティングの曲、『An Englishman in New York』のモデルとして(悲しくも)思い出されるクエンティン・クリスプからも影響を受けた。彼は私の受け持っていたある授業で講義をしたが、インスピレーションを与える性格の持ち主だった。多くの鋭い話の中に、こういうものがあった。「真実を話す人はみなおもしろい」。それで、考えた。これなら簡単だ、正直であるように心がけるだけで、みんなに興味をもってもらえる。 私はこの1年間、クライアントの仕事をしなかった。その時間を利用して、今までやりたくなかった(それ以前はやりたいと思い違いをしていた)分野について考えをまとめた。実験的なタイポグラフィをつくるために、毎朝6時に起きている自分自身に驚いたりもした(締め切りに追われる心配がないのにね)。おかげで、クライアントについてたくさん考えさせられることになった。教育しなければならないクライアントよりも、すでに教育されたクライアントを持とうと決めた。ティボールは、自分より鋭いクライアントしか引き受けない、と言っていた(クライアントはデザインについて鋭い必要はないことを、覚えておこう)。仕事を再開してからは、事務所の仕事の分野を広げるために、4つの異なった分野を取り入れようとも決めた。社会問題のためのデザイン、芸術家のためのデザイン、企業のためのデザイン、音楽のためのデザインだ。 グラフィックデザイナーは、どうやって魂を失わないようにするのだろうか。私の魂はいくらか失われてしまっていて、この問題に答えるのに適当な人間なのかどうか自信がない。残っている魂は、休止すること、いったん立ち止まって考えることでなんとか保ち続けている。決まりきった毎日の生活では、些細な事に没頭しすぎていて、大きな文脈でものごとを考えるための時間も判断力もない。世界中のいろいろな都市で仕事をしてきたので、それぞれには当然違いが生まれたが、おかげで逆に考えさせられた。引越しをすることに疲れて、ニューヨークでじっとしようと決めてからは、1年間休んでみたり、ベルリンで1学期教えてみたりすることで、違いをわざとつくり出した。たった3日間、事務所を離れてひとりで知らない町に行ってみても、違いをつくり出すことはできる。 若いデザイナーが自分の生き方を見つけるのに、この本が役に立つことを願う。「デザイナーは文章を読まない」というたわごとは、真実とは思えない。優れた本は優れた読者を探し当てるものだ。