魂を失わずにグラフィックデザイナーになる本 / エイドリアン・ショーネシー Howtobeagraphicdesigner, without losingyour soul / Adrian Shaughnessy
連載インタビュー=福岡南央子(アートディレクター) 2008年のJAGDA新人賞を受賞してから自分のなかで変化はありましたか?デザインを始めてからずっと、アイデアをうまくかたちにできない不器用さにコンプレックスを抱いてきました。それでも、デザインをやりたいという気持ちを信じてこれまで続けてきました。自分のテーマはデザインの技術を日々向上させることです。そして、賞を頂いてもそれが変わることはありませんでした。無名だった私の名前が多少は認知を得たおかげで、話に耳を傾けてもらえることが多くなりました。この機会を逃さずに夢に向かって進もうと、期待に胸を膨らませています。反面、注目されてしまうせいで、仕事に直接関係ない人たちの反応まで気にするようになりました。気持ちをコントロールする必要を感じたことは、同時に自分自身を意識するきっかけにもなりました。 ドラフトに勤める以前に何度か転職されたそうですが、何がそうさせたのですか?学校を卒業して働き始めたのは小さなデザイン事務所でした。何もできないところから手取り足取り教わりながら技術を身に付けていくことが楽しかったことを覚えています。会社が解散して職を失った後、たまたま聞きつけた募集に応募して、採用されたのが大溝裕さんの主宰するGlanzでした。そこでは、自分のセンスがかたちになって表れる快感を覚えました。デザインという仕事の魅力を実感したのです。それからは、楽しいかどうかを仕事のバロメーターにしています。楽しくないときは、人間関係か、仕事に取り組む態度か、テーマの見つけ方か、きっと何かが間違っていて、そのままにしておくと「楽しくない」という言葉が口をついて出るのだと思います。 Glanzを辞めたのは、もっと規模の大きな仕事を経験したかったからです。そのとき初めて自分の魂を意識しました。こんなに時間が掛かって体力を消耗し、生活のほとんどを占める仕事だからこそ、自分らしさを犠牲にして人生を無駄に過ごしたくないと思いました。クライアントに自分の意思を伝えられないまま仕事をすることは、デザイナーにとって不毛なことです。ドラフトに興味を持ったのは、個人として思っていることと仕事の場での発言に相違はない、という宮田識の考え方に共感したからです。そして、そういうボスのもとで働きたかったのです。 学校では何を学びましたか?どんなことが今でも役に立っていますか?学生のころは早く現場で働きたいと思っていました。クライアントと一緒に働いて初めてクリエイティビティを発揮できるデザイナーにとって、学校という仮想世界で教わることは少なかったからです。しかし、このころから抱き始めた自分の不器用さに対するコンプレックスは、憧れと執着というかたちになって今でも逆説的に役に立っています。技術に説得力を持たせられなければ大きなことは言えないと思い、ディレクションをする一方で必ず手を動かして作業するようにしてきました。ですから、JAGDA新人賞でディレクションだけでなく技術を評価されたことをとても嬉しく思いました。技術の向上は自分との戦いですから、技術が身に付いてきた手応えとして嬉しかったのです。 あなたの師とはどんな関係ですか?大溝さんのことは、今でも師匠だと思っています。固定したスタイルをつくらず、一回一回のデザインで答えを出す姿勢は見習いたいところです。宮田は身近な存在すぎて師匠とは呼びにくいのですが、毎日のように新たな発見をさせられて、常に先の方を歩く開拓者のようです。師というのは、遠くから眺めているだけでは何も得ることはなく、見て感じて考えたことを言葉にして交わすことで、いろいろなことを授かるのだと思います。面倒臭くて怖くて、楽しく過ごすための存在ではないかもしれませんが、今以上に大きくなりたい人にとっては有益な存在です。自分にできないことを常に持っていて、常に上の存在で、やられたとか、すごいとか、なるほどとか思わされるだけで、自分が少し引き上げられるのだと思います。 今のデザイン界についてどう思いますか?何でも知っていて何でもできるかっこいい大人が、世の中を牽引しなくなったと思います。ほとんどのものが子供に合わせてつくられているようで、何も考えないで見られるテレビとか、何も知らないほうがカワイイとか、簡単に食べられるほうが楽だとか、そういうのは全然楽しくありません。憧れる大人に対して背伸びをしてみることが、若いデザイナーになくなったように思います。素直ではあるのですが、無理して自分を良く見せようとも、勘違いでいいからやってみようともしません。話しやすい人と話しやすい内容の会話をして、喧嘩もしません。空気を読んで丸く収めようと思っているのかもしれませんが、誰かかがひっくり返して世の中を面白くしてくれると思いたいですし、自分もそうしなければいけないと思っています。 福岡南央子(アートディレクター) 1976年兵庫県生まれ。金沢美術工芸大学視覚デザイン科卒業。FLAPPER STUDIO、Glanzを経て、2003年株式会社ドラフト入社。2008年JAGDA新人賞・カテゴリー賞、ADC賞受賞。
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序文=ステファン・サグマイスター デザイナーでいることが大好きだ。自由にアイデアを考え、それがかたちになっていくのを眺めるのが大好きだ。一日中、我を忘れて仕事に没頭して、プロジェクトに集中して取り組むことが大好きだ。もう20年もこの仕事に関わっているのに、いまだに作品が印刷から上がってくるのが大好きだ(それがうまく行ったらの話)。 現在、とてもたくさんの素晴しいデザイナーがいる。ジョナサン・バーンブルック、ニコラス・ブレックマンのように、デザインの社会的役割を唱えるクリエーターたち。パリのM/M、東京の野田凪、ロンドンのマーク・ファローのように、ため息のでるような表現を生みだすデザイナーたち。ジョン・マエダ、ヨアヒム・ザウターと彼らの教え子のように、デザインとテクノロジーの境界をあいまいにするデザイナーたち。スイスの若いグループBenzinや、ライアン・マクギネスとシェパード・フェアリーをはじめとする「Beautiful Losers」展に参加したアメリカのデザイナーのように、アートの世界とデザインの世界の両方で巧みに活動する新しい世代たち。 最近University of the Arts in Berlinの春夏学期で教えたのだが、生徒の頭の回転の速さをうれしく思った(少し驚いた)。彼らは私の世代より教育レベルが高く、いろいろなところを旅していて、文化について敏感だ。現在、僕が教えているニューヨークのSchool of Visual Artsの修士デザイン課程の生徒にも同じような特徴がある。その中にはハーバード大学の生物学専攻中の学生やコメディー・セントラルのシニアデザイナーも含まれている。 デザインが、どのように批評されるかについても、新たに注目されている。これを後押ししているのが、スティーブン・ヘラーの『LookingCloser』のシリーズ、評論をたくさん掲載するようになった『Emigre』マガジン、リック・ポイナーの『No More Rules』と『Obey theGiant』、そして特筆すべきは、underconsideration.comとdesignobserver.comのようなデザインブログの登場だ。私の知る限り、今までにこれほど多くの文化で、これほど大勢の人が、デザインに夢中になり批評している時代はない。 もちろん、グラフィックデザインの仕事の分野がさらに広くなれば、グラフィックデザインはさらに難しくなる。かつては数多くの別の分野の仕事だったものが、今ではグラフィックデザインの仕事になっている。生徒の中には、作曲をしたり、映像を撮影して編集したり、アニメーションをつくったり、彫刻をする者がいる。彼らはハードウェアをつくり上げ、ソフトウェアを書き、シルクスクリーンやオフセット印刷をし、写真を撮り、イラストを描く。写植や色分解のような機械的な作業の仕事が、かつては専門職だったことはどんどん忘れ去られていく。多くの学校はこの点を理解していて、グラフィック、プロダクトデザイン、ニューメディア、建築、映像といった学部に、今までのような境界を取り除くことで、多角的なデザイナーの教育を促進している。 私自身にとっても、状況は難しくなっている。年齢を重ねるごとに、昔やったことを繰り返したり、過去の栄冠にしがみついたりすることに抵抗しなくてはいけなくなった。1993年に事務所を開設する以前は、ニューヨークの当時お気に入りだったデザイン会社、M&Co.で働いていた。ティボール・カルマンが、ローマで『Colors』マガジンの仕事をするために会社を閉鎖すると決めたとき、「二番目にお気に入りの」デザイン会社で働く気にはならなかった。だから、自分の事務所を開き、もうひとつのとても興味があったこと、音楽に集中した。小さな会社と大企業の、どちらでも働いた経験があるが、前者の方が後者よりもだんぜん楽しかったので、事務所を大きく成長させないように努力した。 働き始めたばかりの人の多くが、デザインだけに関心を持ち、ビジネスとお金についての問題を面倒だと思っているように感じる。適切な事務所の組織づくりと、クライアントへのプロジェクトのプレゼンテーション(要するに、仕事を獲得する能力)は、インクの色やタイプフェイスを選ぶことと同じようにデザインプロセスの一部となる(プロセスだけでなく、最終的な制作物の質に決定的な影響を及ぼす)。 私は、M&Co.にいる間に多くのことを学んだ。たとえば、タイムシートをつけること。あまり几帳面になりすぎないなら、それは正しいことだと思う。現在、私も喜んでタイムシートをつけているが、それが、ひとつのプロジェクトの収支を知る唯一の方法だからだ。財政を自分で詳しく管理していなければ、そのうち自分が誰かに管理されることになり、デザイン事務所は、私のものではなくなるかもしれない。財政のうまくいっていないデザイン事務所を経営するくらいなら、ビーチで寝そべって読書でもしているほうがよっぽど安上がりだ。 それ以外の、事務所経営についてのあらゆることは『The Business of Graphic Design』という本から学んだ。このビジネス実用書は、なぜ会社を始めたほうがいいか、始めてはいけないかを論理的に説明していて、事業計画の立案と諸経費の見積の方法も解説している。ひとりもしくは共同経営で開業することの、両方の有利な点も説明されている。 スティングの曲、『An Englishman in New York』のモデルとして(悲しくも)思い出されるクエンティン・クリスプからも影響を受けた。彼は私の受け持っていたある授業で講義をしたが、インスピレーションを与える性格の持ち主だった。多くの鋭い話の中に、こういうものがあった。「真実を話す人はみなおもしろい」。それで、考えた。これなら簡単だ、正直であるように心がけるだけで、みんなに興味をもってもらえる。 私はこの1年間、クライアントの仕事をしなかった。その時間を利用して、今までやりたくなかった(それ以前はやりたいと思い違いをしていた)分野について考えをまとめた。実験的なタイポグラフィをつくるために、毎朝6時に起きている自分自身に驚いたりもした(締め切りに追われる心配がないのにね)。おかげで、クライアントについてたくさん考えさせられることになった。教育しなければならないクライアントよりも、すでに教育されたクライアントを持とうと決めた。ティボールは、自分より鋭いクライアントしか引き受けない、と言っていた(クライアントはデザインについて鋭い必要はないことを、覚えておこう)。仕事を再開してからは、事務所の仕事の分野を広げるために、4つの異なった分野を取り入れようとも決めた。社会問題のためのデザイン、芸術家のためのデザイン、企業のためのデザイン、音楽のためのデザインだ。 グラフィックデザイナーは、どうやって魂を失わないようにするのだろうか。私の魂はいくらか失われてしまっていて、この問題に答えるのに適当な人間なのかどうか自信がない。残っている魂は、休止すること、いったん立ち止まって考えることでなんとか保ち続けている。決まりきった毎日の生活では、些細な事に没頭しすぎていて、大きな文脈でものごとを考えるための時間も判断力もない。世界中のいろいろな都市で仕事をしてきたので、それぞれには当然違いが生まれたが、おかげで逆に考えさせられた。引越しをすることに疲れて、ニューヨークでじっとしようと決めてからは、1年間休んでみたり、ベルリンで1学期教えてみたりすることで、違いをわざとつくり出した。たった3日間、事務所を離れてひとりで知らない町に行ってみても、違いをつくり出すことはできる。 若いデザイナーが自分の生き方を見つけるのに、この本が役に立つことを願う。「デザイナーは文章を読まない」というたわごとは、真実とは思えない。優れた本は優れた読者を探し当てるものだ。